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2007年 01月 13日
2007年 01月 07日
条件:
自宅に人を招いて呑み喰いすることが、当日決まる。 部屋の散らかり具合は、10度中7度。 人数は10人。 集合予定時刻は19:30。 献立は鍋プラスアルファ。 実践: 17:30 終業 17:35 職場発 18:00 大型スーパー着 18:20 買い物終了、スーパー発 18:40 自宅着、掃除開始 19:15 掃除終了、調理開始 19:30 第1客人到着 19:50 ほぼすべての客人到着 20:00 調理ほぼ終了 20:15 乾杯 教訓: 掃除は少なくとも30分いる。 部屋のちらかり度は日頃からせめて5度程度にしておく。 そうでなくても、すぐに片付けられるように、何をどこにしまうかの定位置は決定しておく。かつ、モノをつっこめる「開かずの間」を確保しておく。 トイレ用品の替えもふだんから用意しておく。 急ごしらえな献立のあらは、素材や味付けの目新しさで紛らす。 どのスーパーがどんな品揃えかは日頃から把握しておく。(註:転居したてなのでまだいまいち把握できてない) 客人の待ち時間をフォローするために、いくつかの「手伝ってもらえること」は残しておく。 集合を7時とか言ってなくてよかった。 #
by egamiday2_plus
| 2007-01-07 11:40
2007年 01月 07日
2時間の番組を、DVDにダビングしようとした。
CMカット済みで、2時間で、4.5Gと表示されていた。 空のDVDは4.5Gなので、そのまま高速ダビングしようとした。 「残量不足です」 番組をあらためて見てみると、2時間2秒あった。(・・・・・・。) 3秒削った。 表示は、2時間で4.5G。 そのまま高速ダビングしようとした。 「残量不足です」 えーと。 試しに、高速ではないダビングを実行してみた。 「ダビング開始。残り時間2:00」 ・・・・・・ふぅ。 #
by egamiday2_plus
| 2007-01-07 11:14
2006年 12月 31日
錦市場をうろつきながら、実家に「京都からの土産は何がいいか」をメールで問うたところ、妹は八ツ橋、父親は生八ツ橋と言い、母親に至っては「千枚漬はいらない」と返し賜うたよ。 #
by egamiday2_plus
| 2006-12-31 21:52
2006年 12月 31日
ごあいさつ
または、江上がopenindexを閉じている理由 付けたり、江上がLLResourceを閉じた理由 (小沢健二の「僕らが旅に出る理由」のノリで) おつかれさまです。 来年もよろしくお願いします。 年が新たまってしまう前に、江上がopenindexを10月頃以降閉じている件について、説明を記しておこうと思います。 江上は、インターネットを介しての、個人ベースによる、情報のアクセス可能化、情報発信と享受のし合いについて、かつてこんなふうなことを書いたことがあります。 「あらゆる情報が、低コストで、発言され、目撃され、共有され、双方向送受信されています。どんなに細分化・多様化・高度専門化した情報---かつては高コストをかけてまで発信できなかった---でも、関係ありません。出すものも、求める側も、重箱のスミのような限定的なもの同士が、gooなりGoogleなりで簡単に出会える。そのときのその人にとって100%の意味を持つ情報が、需要され、供給され、個から個への流通が障害なく成り立っている。 Web上では、"発信"なんて大それたことする必要はない、"アクセス可能化"さえしておけば充分なんです。」(「情報発信、しない理由が見つからない」2002.2) 「gooなりGoogleなり」という序列に、時代を感じますねえ(笑)。 「アクセス可能化」さえしておけば充分だし、そうしておくことに大いに意味がある、という考え方。それに基づいて、江上はこれまで、書き捨てのような細切れの文書から、html何十枚を重ね上げたようなページ群まで、それらを"コンテンツ"と呼んでいたわけですが、ありとあらゆる玉石混交のコンテンツをまるごと「アクセス可能化」さすべく、借り物のサーバ上にぽおんと置いてたわけです。(自分で「玉」て言うのもなんだな) 個人ベース情報発信のほとんどが「blog」と呼ばれる仕組みに取って代わられる時代になっても、その方針が変わることはなかったし、変える必要もありませんでした。 そしていまでも、「アクセス可能化」させておくことに大いに意味がある、という考え方自体には変わりはありません。 じゃあ、なんで閉じてるの、て話ですよね。前と変わらずアクセス可能化させときゃいいのに、ていう。 なんかですね、ここんとこ昨今の、世の人々の、インターネットを介しての個人ベースによる情報のやりとりの有り様っていうのが、なんかこう、当初江上が予想・想像してたようなのとはちょっとちがってきてるな、ていう感じなんですね。なんだろう、これほどまでに「断片」と「断片」のやりとりばかりになろうとは、思ってなかったです。これほどまでに「文脈」というものが無視される有り様になろうとは、思ってなかったです。 それが、良い悪い、という問題ではないんですよ。別に「断片」のやりとりが問題だなんて言うつもりはさらさらなく、ただ、これほどまでにそうなるとはちょっと予想してなかった、ていう。 なんかもう、「文脈」てものがことごとく無視されてますよね。無視されてるていうか、「無い」ですよね、文脈。初めから存在しないものとして取り扱われてますよね。求められてないですよね。求めようとしてないから、そこにあっても、無いものとして華麗にパスされてますよね。パセリですよね。バランですよね。だからそのパセリやバランがプラッチック製でも誰も何とも言いませんよね。 江上がかつて思い描いてた「あらゆる情報の、個から個への、低コストで簡単な流通」ていうのは、それは「文脈」と「文脈」の出会いだったんですね、「だったんですね」てエラそうに言ってるけどいまにして思えばそんな感じだったかもしれない、てだけですが。もちろん、情報が「断片」化することくらいは容易に予想できるわけですけども、とは言ってもそれは、「文脈」と「断片」が出会って新しい「文脈」が産み出されるとか、「断片」と「断片」が出会って新しい「文脈」が産み出されるとか、そんな中にあって2割か3割かくらいは「断片」と「断片」が出会って、結果、「断片」だけだとか、そんな感じだろうかなと漠然と考えてましたよ。 ところがぎっちょん、「断片」と「断片」が出会って、結果、「断片」だけ、ていうのがいまや8割9割じゃないですか。情報が、積み築かれて城になるわけでも、絡み合って織物になるわけでもなく、連なって線になることすら稀で、点と点がぶつかって、点、ていう。 心の声:(・・・・・・それって、おもろいか?) いやいやいや、江上は別にそれを、良いとか悪いとか言うつもりは毛頭無いので、「断片と断片で断片」、ていうのもありでいいですよ、全然。実際、江上がいまものしてるblogの中には、そういう「断片もの」だっていくつもあるわけだし。ただ、あ、そうなんだね、と。そうとは思わなかったよ、と。さは思はざりしを、と。 そして、江上がかつて書いてアクセス可能化してたコンテンツ群というものをよくよく省みて見たときに、それらは必ずしも、これほどまでに「断片と断片で断片」に偏った情報環境下に置かれることを前提としていたわけでは、ない。前提である環境が当初の予想とちがってきている以上、見栄張って意地張って「アクセス可能化」の原則に固執し続けるのも、それはそれでおかしな話だよな、と。そういう情報環境下であればそういう環境に合った、ぴったりしっくりしたコンテンツを「アクセス可能化」させればいいんであって、そうは思ってなかったものについては一旦様子見をしてみるのが、まあ妥当な振る舞いじゃなかろうか、と。 なにより、そうやって一旦様子見してみたり、また小出しにしてみたり、しっくりいくようにmodifyしてみたり、そういうことが簡単気軽にできることこそが、Webの利点であり醍醐味なわけだから、と。 というような考えの下、openindex以下すべてのコンテンツを、いまのところ一旦閉じている、という感じです。 そして、「断片と断片で断片」化に拍車をかけたのは、ほかでもないGoogleやblogなんだろうな、という感じです。 その2。LLResource(ライブラリー・リテラシーのリソース集)を閉じた理由について。 これはもう単純に、「リソースがあまりにも世に増えすぎた」のが理由でしょう(笑)。もう片手間の暇つぶしでは追えなくなりましたよ、ていう。 ただこれは、敗北宣言であると同時に、達成宣言でもあるわけです。 そりゃそうですよね、これを始めた当初の理由が、当時流行りつつあった、”情報リテラシー””ライブラリー・リテラシー”を、自分のところでもスムーズに実践したいんだけども、経験も蓄積もないから、他所さんが作ったのをお手本にしようとするにあたって、インターネットで検索して探すのに結構てこずるし、望むような感じのものがなかなか見つけづらいもんだから、リンク集の形で分類・評価・整理しよう、ていうところにあったわけです。そういう手助けでもって、「情報リテラシー、ライブラリー・リテラシーを、もっと身近に、効果的に、効率よく、さらなるレベルアップを図りたい」(「このサイトの趣旨」2001.10)と。 それが5年経ったいまではいかがなものかというと、”情報リテラシー””ライブラリー・リテラシー”は大学図書館業界にすっかり定着し、経験のない図書館のほうがだんだん少なくなり、ありとあらゆる図書館が自前のリソースをWebに公開し、お手本しようとするにあたっては、ちょっと探せばなんとなくそれらしい感じのものがわりと簡単に見つかっちゃう、てなご時勢ですよ。”情報リテラシー””ライブラリー・リテラシー”をもっと身近にし、効果的にし、効率よくして、さらなるレベルアップに成功した挙句に、追えなくなるほどにリソース数が増加して、敗北宣言ですよ。 こんなうれしい敗北宣言がありますか、ていう話ですよ。 もはや勝利宣言ですよ。 ところで、「にしたって、更新しないままでも、そのまま閉じずに置いておけばいいんじゃないの。それはそれで意味のあることだし、分類・整理されてるだけマシなんじゃないの」とおっしゃる向きもあるかもしれない。実際にそう言われることもあります。 ただですね、あの更新されていないリンク集というのは、もはや、世にあるリソースのごくごく一握りでしかない。しかも、古めで、見せ方やレイアウトも前時代チックで、扱ってるデータベースのヴァージョンも低いというような、そんなのの、一握りでしかないわけですよ。それを「これがライブラリー・リテラシーのリソースだ!」なんつって仰々しく飾り立てて開陳し続けてるっていうのは、これとどのつまり、ライブラリー・リテラシーというものを矮小化してるだけなんですよね。しかも、ありがたいことにいろんな方がいろんなところでこのLLResourceを紹介してくださっている、だからこそ余計に、「これが・・・ライブラリー・リテラシーのリソース・・・・・・か?」てなっちゃうと、いやいやいやそうじゃないそうじゃない、これはもはや更新されなくなって久しいアーカイヴァルなコンテンツであって、もはや大学図書館のライブラリー・リテラシーは地平線の向こう側へうんぬんかんぬん、と言い訳を連ねなければならなくなっちゃうわけで、ならなくなっちゃってまでもなお、見栄張って意地張って「アクセス可能化」の原則に固執し続けるのも、それはそれでおかしな話だよな、と。「アクセス可能化」さすんだったら、このLLResourceがカレントコンテンツではなくアーカイヴァルコンテンツなんだと明確にわかるかたちでもって、さすべきだな、と。 というような考えの下、LLResourceをいまのところ一旦閉じている、という感じです。 あれですね、こういうWebまわりのことって、1年2年であっというまに事情とか変わっちゃいますからね、またしばらくしたら江上の考え方も変わることであろうと思います。それが、blogを立て続けるということであるか、openindexを復活させるということであるか、リポジトリ教に入信するということであるか、ポッドキャスティング用のサーバを自前で持つ(注:言葉の意味を正しく理解せずに使っています)ということであるか、は、わかりませんけども、確実に言えることは「いやあ、おもろいなあこれ」ということですよ。(結局、おもろいんだ(笑)) 以上、「ごあいさつ または、江上がopenindexを閉じている理由 付けたり、江上がLLResourceを閉じた理由 (小沢健二の「僕らが旅に出る理由」のノリで)」、2006、でした。 #
by egamiday2_plus
| 2006-12-31 21:51
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